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松原ものづくりエクセレント企業事業

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松原の産業 / 松原市の地場産業

金網工業の概要

地場産業として有名な金網工業は、河内木綿の歴史と深い関係がある。江戸時代から盛んであった河内木綿は、安価で良質の外国綿が輸入され始めたことにより、手織の河内木綿の需要が減少へとつながっていき、次第に衰退へと向った。

ちょうどこの頃(明治35・36年)に阿保町の岩崎藤吉氏が賃織の技術を生かすため、大阪金網より金網技術を習得し、その岩崎氏より技術習得した出島総次郎氏をはじめ、阿保地区の旧綿織業者の間に金網技術が広まった。

当時の金網は手織が中心で、穀物等をとおす「とおし」に使用され、大正10年に西田虎吉氏は出島氏より技術を習得し、昭和初期には、田中卯三郎氏が西田虎吉氏より技術を習得して独立している。この頃より金網を手掛ける者が頻繁となり、大阪市の大宝金網、松井金網、藤川金網、浜口金網等が出入するようになった。

昭和9年に松井金網が阿保町に専属工場を設置して、昭和21年松井金網は伸線作業を手掛け、一連工程に着手している。これ以後、急激に成長した金網工業は地場産業として定着するに至った。

現在、松原市内で金網業を営む事業所は、約50軒で、編目が極めて細かいハイメッシュのステンレス製金網の製造者が多く、平織、綾織等の織金網を中心に溶接金網、コンベア金網、クリンプ金網など各種産業で利用されている。

最近は、台湾、韓国、中国製の安価な金網も出回り、高度な技術をもって製品の開発に取り組んでいます。

真珠製核業の概要

松原の地域産業のひとつに真珠製核業があります。現在製核業者は三宅、別所、大堀地区に分布し市の北東部に位置しております。

もともと市内で加工される真珠核は、米国ミシシッピー上流でとれる淡水貝(ドブ貝)を利用した球状の核であり、その工程は淡水貝を荒切り、小切りの工程からサイコロ状に加工、角をおとして砥石等で研磨されながら、荒丸め、仕上げ丸め、艶出しの工程を経て製品の真珠核となります。

養殖真珠は、母貝(アコヤ貝)の体内にこの真珠核とともに外とう膜切片を移植すると、核の周囲に真珠袋が形成され真珠質が分泌されて輝しい真珠に生まれかわります。

現在市内の製核業者は14件で、その創業年度をみると最も古い事業所は、昭和22年で、7割強の事業所が昭和30年代にかけて創業されている。

従業員 規模をみると7割までの事業所が10人未満の規模であり、その3割を家族従業員で占めている。従業員の平均年齢は46歳で平均30歳という若い事業所も1件ある。法人組織をみると6件で全体の43%を占めている。

真珠核製造工程

印材業の概要

日本の伝統文化ともいえる「印艦」は、水牛、象牙等の材料から加工された印材に名前を彫刻することによって完成します。印材の代表的な水牛についてみると、生産量で全国のトップが松原市であり、現在印材製造会社が13軒あります。

印材の加工技術は、明治の中ごろ、大阪市西成区勝問(こつま)から松原の業者に伝わったといわれています。戦前までは、家族全員が水牛の角をノコギリで切り、ヤスリなどで印材加工を仕上げていました。戦後になって、動力機械が導入されるようになり、加工技術が広まり全国の 8割を占めるほど印材加工の産業が発達しております。

原材料となる黒水牛、オランダ水牛等の生産及び材料の輸入は、順調に推移しておりました。

ワシントン条約による象牙の輸入規制や国際捕鯨禁止、動物保護等により一部の材料に不足が生じはじめ、また、最近の景気の低迷、消費者の低価格志向により印材業者の売上が減少、加えて台湾や香港、中国製品の低価格攻勢に押されぎみであり、生産コストの削減や市場開拓、品質の向上、新素材の開発など新たな課題に取り組んでいます。

印材製造工程

商工業概要